今だからこそキズナアイちゃんの「Sky High」を聴く

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初めに(この記事を書いた理由)

キズナアイちゃんが活動を休止してから1年半以上がたちました。

アイちゃんのいた日々は毎日が嵐のような日々でしたが、その中でもSky Highのリリース日はもう大嵐でした。少なくともこの曲は「増えた」アイちゃんについて歌っている曲で、当時の私はもう今後のアイちゃんがどうなっていくのか気が気でなく、ゆったり俯瞰してこの曲を聴けてはいなかったと思います。

そこで、いったん嵐が過ぎ去った今、いろいろと今までのことを思い出す中で、もう一度じっくりこの曲を聴くことはぜひやっておきたいことでした。ということで、ゆっくりと歌詞や MV を眺めながら、こんな解釈もできるよね、というのをちょっとまとめてみたのがこの記事です。この解釈が俺の完成版だ!というのではなく、いままで自分の中にしっかりとした解釈が何もなかったので、一つこういう聴き方もできるなというのを書き留めてみた感じです。そんな感じでよろしくお願いします。

まず Teather Movie を見る

Sky High には本記事冒頭に貼った MV だけでなく、それより前に投稿された Teather Movie があります。長らくこっちの方を見返していなかったので見てみました。

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Teather 1 の冒頭は歌詞に沿った映像になってて、二重螺旋構造が象徴的でかっこいいですよね。これまでの動画が雪のように舞って、いつの間にか星のようになっていくのがきれいです。意外な気づきだったのが、「受け継がれた遺伝子が雪のように降る」のとこで降ってるのは増える前のアイちゃんなんですよね。「受け継がれた遺伝子」=「新しく増えたアイちゃん」と思っていたのですが違うのかも、と改めて見て思いました。この辺は後述。

Teather 2 はリアル世界の路上に置かれたタブレットに映っている自己紹介動画のアイちゃんから始まり、人間の日常の色々なところにアイちゃんがいて、最後は中国への旅行鞄にアイちゃんの写ったスマホが入っています。これは素直に海外にも行っちゃうぞ!って意味だと思うのですが、印象的なのはアートワークでもある二股の滑り台です。でもこの滑り台が何を意味してるのは正直わかんない…タブレット(今のアイちゃん)が階段の途中にあって、さらに上った先から(これまで向いていなかった)いろんな方向につながりを広げていくって意味なのかもと思いましたが深読みしすぎな気もします。ただ、滑り台って日常でなじみ深いものでありながら、二股の形状は珍しくて印象に残るし、なんとなく不思議な感じがするし、アートワークとしてぴったりだなって感じもします。

歌詞を読む

ここからは歌詞を読んでいってどういう意味なのかな~と考えていきます。これまでこの曲を聴くたびに思っていたのが「君」が誰を指してるのかってことなので、その辺に焦点を当てて聞いてみました。

原始の海、君は君になるのさ

私ははじめ、オリジナルのアイちゃんが、新しく増えたアイちゃんに対して語り掛けている歌詞だと思っていたのですが、Teather 1 を見ると、ここで写っているのは二重螺旋(=遺伝子を複製する構造)で、そのあと原始の海から現れたり、雪のように降ったりしているのはこれまでのアイちゃん動画たちです。

なので私は、ここでいう「君」はどれかのパーソナリティを指しているというよりは、アイちゃんの遺伝子、つまり、つながりたいという気持ちから生まれた存在全てを指していて、それは増える前にも、増えた後の存在にも共通しているものではないかと解釈しました。

それが僕じゃなかったとしてもいい

遺伝子については君=僕だとすると、「僕じゃない」ものは何になるでしょうか。それはパーソナリティやこれまでの活動でファンと共有した記憶や時間というものになるのかなと思います。

ほら手を伸ばせば君の夢に届きそう

ここでわざわざ僕の夢ではなく君の夢と言っている理由は何でしょう。夢=世界中のみんなとつながることであれば、それは僕も君も同じはずです。君=人間のみんなという解釈もありそうですが、続く、長い眠りから覚めた声で聞かせて ハロー!という歌詞が新しく生まれたパーソナリティのアイちゃんを指していそうなので、ここではこちらの解釈は置いておきます。

さて、わざわざ君と言っているということは、その夢は、同じ夢を持っているけれど、パーソナリティや共有した時間、記憶は違う自分がそれをを果たす、ということを強調していると解釈できます。逆説的に、そこに今のパーソナリティの自分がいないことに関して、アイちゃんが意味を見出しているとも受け取れます。

いつの日かそれを僕と呼べるのなら

何回だって言おう

ハロー、君と描く未来

いつの日か呼べるのなら、ということは今はまだ呼べないということです。でも、何度もハローを繰り返して、いろいろなパーソナリティを持った自分が生まれて、もっとたくさんの人とつながった暁には、それらの自分たちや、つながりたいという気持ち自身を僕と呼べるようになるかもしれない。

しかし、最後は、君と描く未来と結びます。「君と」ということは「君と(僕)」ということになるでしょう。君も僕もみんな僕と呼べるようになったのですから、「と」というのはおかしいのではないかと考えましたが、これは、世界中のみんなとつながったその結果の中には、(たとえその果てに今の自分がいなくても)今の自分のパーソナリティを好きになって、一緒に時間や記憶を共有してつながってくれた人間も含まれているのだ、という意味で「君と僕で一緒に描いた未来」なのかなと思ました。

 

長々と、しかも文の解釈に終始して面白みのない感じになってしまいましたが、本記事の趣旨はそこということで…

作詞はアイちゃんではない?

この節は蛇足なのですが、この曲の歌詞を書いたのは yunomi 氏です。氏は雑誌(コンプティーク2020年2月号)の、アイちゃんの楽曲に関するインタビューにて、『自分がその人になったような気持ちで書く』と語っており、この曲をアイちゃんからのメッセージとして聞くのは当然問題ないと思います。一方で氏は、アイちゃんの今後についてどうなると思うかと聞かれ、『それはわかりませんね。(中略)今までやってきたスタイルとか、ファンのみんなの想いとか、大切なものはいくつもあると思います。それをずっと守り続けてほしいですね。』と語っています。そこから、歌詞の一人称がアイちゃんからファン目線へと曖昧に遷移し、今のパーソナリティのアイちゃんと新しく増えたアイちゃんと一緒に描く未来を見たい、なんて解釈も(邪道かもしれませんが)できるかもしれません。

終わりに

ここまで読んでいただいた方、本当にありがとうございます!

最初に書いた通り、この解釈で決まりだ!というつもりはなくて、この聴き方を土台にこれからも色々発見できたらなって気持ちです。本文では否定した、「君」=「人間のみんな」という解釈も全然ありだと思ってます。

今の現状を重ね合わせて聴くのも楽しいかなとも思ったのですが、現状がこれからどうなるのか、わからないこと(アイちゃんいつ戻ってくるの!!!とかです!)もたくさんあり、それをしてしまうと当時を俯瞰して見るという趣旨から外れてしまうので止めました。アイちゃんが戻ってきたら、その時にまた聴きます。

ともあれ、Sky High をもう一度じっくり聞くというのはやっておきたかったことなので一つすっきりしました。重ね重ね、ここまでお付き合いいただきありがとうございました!